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MCJ会長・高島勇二の物語

3000万円の借金・・・。

それは、高島の祖父の会社が赤字で抱えてしまったものだった。

1993年。高島は当時学生だったが、もはや、好き勝手な学生生活など許されない状況だった。普通なら、実家の事業をそのまま手伝うところだ。しかし彼は

「祖父の事業には将来性がない」

と判断し、自分で事業を立ち上げることを決断した。

商売において資金力や経験は絶対条件ではない。言葉に出すだけなら陳腐な表現だ。しかし彼は、これらの言葉を実体化した男だった。

起業当初、高島の手元にあった現金はたったの4万円。そのため、彼はタダで事業や宣伝ができる方法を探すしかなかった。

現在であれば、インターネット上にホームページを立ち上げて資金ゼロで事業を始めることが可能だ。当時は、インターネットの代わりにパソコン通信があった。もともと昔から機械いじりが好きだった彼は、パソコン通信のサイトを立ち上げ、周囲の大学生たちと共に、コンピューターの改造や増設などを始めた。

コンピュータ業界では生きながらにして伝説の人、スティーブ・ジョブズが1976年にアップルコンピュータ社を実家のガレージで設立した話は有名だ。奇しくも、高島たちも当初のオフィスは彼の実家の裏のガレージだった。

その後、DOS/Vパソコンの製造販売を開始した。注文を受けてからオーダーメイドでパソコンを作って格安で提供するというビジネスモデルにより、コンシューマ層を中心に生産台数を飛躍的に伸ばした。それから、販売拠点を秋葉原、大阪、福岡と全国展開した。そしてついに、MCJは2004年6月に東証マザーズに上場するまでに成長した。

さらに、大手家電量販店、大手流通商社と提携を行い、コンシューマおよび法人に向けて年間10万台以上の「マウスコンピューター」ブランドのパソコンが製造販売されるようになった。

MCJの勢いは止まらず、2005年3月にはシネックスを子会社化。さらに2006年1月には秀和システム、ウェルコム、イーヤマを子会社化。2006年9月にはユニティを子会社化した。

そして、いくつもの株式会社を傘下とするMCJグループが誕生し、現在、高島はそのトップに君臨している。

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マウスコンピューター
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